過ぎ去りし日々

〜ファイトクラブ〜

国際ボクシング協会とキックボクシング協会は異なる。そのため宮川拳吾を個人的に預かり日本キックボクシングのバンタム級チャンピオンに育て上げ、甲府という小さな街でのチャンピオン誕生は人々の大きな話題になった。 当時高校でファイトクラブが存在したのは甲府工業高校のみであった。農林高校に在籍していた新井孝明も同様に個人的に預かり、国体選手として昭和57年のくにびき国体・翌昭和58年愛知国体に出場させた経緯もある。また、UTY(テレビ山梨)のニュース番組で、前村アナウンサー・秋山カメラマン(現在はテレビ山梨局長)の取材を受け放映された。

〜青年時代〜

若き日の私は番長として仕掛けられた喧嘩は一度たりとも負けたことはない。私が尊敬していた実力者で私の兄弟分でもある石坂正夫氏が面倒を見ていた関係で、当時の甲府工業高校番長藤巻敬一とは仲が良く、相談にもよくのっていた。

〜若かりし日々〜

まだうちが甲府市銀座1丁目の6坪の頃であった。博多スナックのママと中学時代の総番で組の幹部N氏が別々に入って来た。 程なくして両者は突然トラブルとなり、ママが割りばしで突かれた。仲裁に割って入ったことでN氏は激高し、厨房から包丁を持ち出し振り回した。私も必死に反撃し一発殴ると彼は道路に倒れた。ちょうど稲川会久保田正さん(久保田組組長 現在は引退)が通りかかったことで事態は収拾した。恐らく同じ一本気な性格な私を放っておけなかったのであろう。 後日その件で組から「久保田組長も山下さんもよく知っており、組と関係なく個人的な問題でお騒がせした。本人と話してまとめてほしい」と電話が入った。 そしてN氏、久保田氏、私の三者で話をすることとなった。その日、指定された場所に5台は車が来ていただろうか。二階で三者で話し合い、程なく、円満解決となった。一連の騒動は話題になり、語り草にもなっている。

〜若かりし日々2〜

学生・一般人を含め35名で恐喝をしている恐ろしい集団がいて、その連中に私の身近な人が被害にあった。私は甲府市中央1丁目のゲームセンターへ報復に出向き、乱闘になった。血相の変わった私に驚き乱闘は1分程で収まったのだが、相手の親御さんが相談した輩の中に、私も知っている古屋真吉や大沢氏などが偶然いたため話が早く、加害者集団を解散させることで事件は一気に解決した。今ではみんな真面目で立派な社会人になったようだ。